子規が愛した料理屋 「溌々園(はつはつえん)」
愛媛県松山市住吉2丁目
「はね鯛を取りて押さえて沖鱠」
「初汐や帆柱並ぶ垣の外」
「湯上がりに三津の肴のなます哉」
「ああ三つのいけすに魚の踊りけり」
ー正岡子規
「霍乱や朝から出る雲の峰」
ー高浜虚子
正岡子規と三津にはいくつか関わりがあります。そのうちの一つが一軒の料理屋で、そこは「溌々園」(一般には「いけす」と呼ばれていた)という有名な、今流でいえば活魚専門の店でした。溌々園には、旧御船場作業場を利用して造られたいけすがあり、新鮮な魚とお酒が振る舞われました。子規もよく足を運んだ場所で、延14回も足をのばしています。ここで子規は、名月を観賞したり高浜虚子ら俳人仲間と句会を催したり、軍人・秋山真之らと新年会を開いたこともあり、帰郷した一時を楽しんだようです。
文学好きの寄宿生の会「紅葉会」の例会をいけすで開いたときのことを、子規は次のように記しています。
「紅葉会を三津のいけすに開くにあつまるもの六人いづれもうでぞろひの正札つき、歌をつくるもあれば碁を戦ハすもあり そのけしきもいはんかたかなく山もまどいの中にはいりて笑顔をつくり潮高く上りてハ足もとの波音に驚く、おまけに御馳走ハ山の如く海の如し 実に衆と楽むこそこよなく面白けれ。ああ三つのいけすに魚の踊りけり」
※明治末期に廃業となり、現在は港の護岸整備のため溌々園があった場所は海となっている。※明治末期に廃業となり、現在は港の護岸整備のため溌々園があった場所は海となっている。
参考文献:三津界隈はええとこぞなもし、三津の古建築ものがたり
※明治末期に廃業となり、現在は港の護岸整備のため溌々園があった場所は海となっている。※明治末期に廃業となり、現在は港の護岸整備のため溌々園があった場所は海となっている。
参考文献:三津界隈はええとこぞなもし、三津の古建築ものがたり