「つし二階」の江戸時代の商家
松山市三津2 丁目
日本の住まいは平屋を旨としてきました。平安朝を代表する寝殿造、武家住宅の書院造も概ね平屋であります。しかし室町時代末期になると、町家の一部に二階建てが現れます。二階建てといっても、その多くは「つし二階」でした。「つし」とは屋根裏の物置場のことです。その高さは居住空間には十分でなく、物置や使用人の部屋として利用できる程度でした。河野家はこの「つし二階」の形態を残しています。
この家屋敷は河野庄次郎が幕末に購入し、むしろなどの藁製品や畳用のい草などを扱う商店を創業しました。漁師が綱や網の材料に藁を使うことが縁で、後に船具も扱うようになりました。三津では最も古い船具屋です。庄次郎は三津の「三」と庄次郎の「庄」を取り、屋号を「三庄」としました。
現在は新店舗で営業しているため、内部はかつての店の佇まいが残されています。海風を頼りに航海を行っていた時代、岡山や九州などから漁具を買いにきた漁師たちは、店で茶を飲みながら1.2時間風を待っていたそうです。




参考文献:三津の古建築ものがたり